私は幸せである

人は何のために生まれてきたのか? 一番、単純な真理は、「ひとは幸せになるために生まれてきた」といえる。 私の身近な妻や子供が、人生を振り返って「自分は不幸だった」と考えるとしたら、それは悲しいことである。 自分に何かいけないことがあったのだろうか?と反省と後悔の気持にもなるかもしれない。 私は、先祖から命のバトンを受け取ってきた代表の命なのである。 その命が「自分は不幸」と考えているとしたら、ご先祖さまも 悲しいのではなかろうか? つないでくれた命への最大の恩返しは、「今、私は幸せである」と宣言 することだ。 しかし、この世には、良いこともあれば、さけれない嫌なこともある。 ようするに、自分は何があっても幸せだという覚悟がいるのである。 だから、年を重ねて「幸せな人生でした」と述べるおじいさんやおばあさんは、 この覚悟を持っていきている人なのだと思う。 だから、どうどうと「自分は幸せだ」と宣言しよう。 いろんなことがあるにもかかわらず、私は、幸せなのだ。 あー、神様、感謝します。 あー、神様、この世で、私ほど幸せなものはありません。 神を賛美します。