考えてみたら挫折と人に導かれる人生

今回の人事異動は意外だった。

自分を評価し残してくれたことの感謝する。

今、いるところで頑張るように評価していただいたと思う。

考えてみると

自分で自分の人生を決めたということは

あまりない気がする。

本当は勉強してよい大学に行きたかったのだが、挫折し

浪人生活にならざるえなかった。

将来、どうすればよいか・

成績は伸び悩むし勉強しても限界を感じていた。

そこで、母が介護みたいな仕事したらと言われ

そうだ。医療系に行ってみようと思い、

医療系の予備校に行ったら、リハビリの仕事がいいですよ

浪人するなら、それを目指してはどうですか?と言われ

そのまま、そうすることにした。

しかし、本当になりたいわけでもなかったため、専門学校に入ってからも

苦労した。

向いてないとも言われた。

もうやめようかと何度も思った。

学生生活はつらかった。そんな中、ただ忍耐するだけが

自分にできることだった。

就職の時も、明確にこういう分野でやりたいという

意思はなかった。

ただ、自分が社会人としてまともに働ける場所であればよかった。

人に誘われて一緒に病院を受けに行った。

いろいろ、人間関係ではつらいことも多かったが、

そこで長い期間、働くことになった。

こういう人生の流れをみると

自分の意志で明確に生きてきたとは言い難い人生だ。

目の前に流れる川を必死に耐えながら

なんとか岸までたどりついた。

そんな感じだ。

本来、人間関係が苦手な人間がする仕事ではないのだ。

だから

人一倍、苦労した。悔し涙も流した。

忍耐と努力の成果あって、すくなからず

認めてくれる人もいるようだ。

ありがたいことだ。

今の自分は、もう成功しようとは思っていない。

自分はこの世では失敗者でもよい。

自分は、十字架の死と復活のキリストを

自分のアイディンティとして生きることこそ

私の生きる意味であり

喜びであり

生きがいなのだ。

だから

今、自分にできる

目の前に平和を作り出すことが

使命なのだ。

ただ、

それだけだ。

あー神様

感謝します。