カトリック系の家系に生まれた私は、子供の頃よりキリスト教の教育を受けた。
その中で、キリストの生き方に模範にするような考え方を学んだ。
キリストは、自分を処刑したものを許し、、我が身を人類の愛の為に
十字架の上で処刑されるという犠牲的人生であった。
生半可な信仰や人間性の人間が、この生き方を模倣しよとすると、
容易ではない。
自分のことより他者を優先して行動していると、気づかぬうちに、
自分に無理をしてしまう生き方になってしまう。少なくとも私は、その傾向があった。
ある時点で限界点に達し、自分が理想とするような生き方ができないことに徐々に気付いていく。
いわゆる普通の人は、まず自分が幸せになるための行動を優先することである。
自分の心を満たすことを優先する。
自分の心が自己肯定感を感じながら、楽しく喜びあふれた状態にする。
こうした時にこそ、本当の意味でキリストのような他者を愛し与える精神状態に近づくように思う。
自分が普通のひとなのか?聖者なのか?を見極めることが必要である。
キリストの行ったことは、やはり常人には真似できないことばかりである。
自分を知ること。しかし、これが本当に難しい。
わたしも40過ぎて、自分が、どの程度の精神レベルの人間であるか、ようやくわかってきた。
わかるにつれて、自分自身との付き合いかたもうまくなっていく。
結果、心は平安や幸せな状況でいる時間が増えるようになる。
この過程を経て、はじめて、人への貢献へとつながっていくのだと思う。
あー、神様、私が自分の幸せを大切にします。
あー、神様、賛美します。