瞑想の中のきづき

今日は、過去と未来の心配を手放し、現在に集中する瞑想をしてみた。

そこで出てきた思いは、「心配や不安、不幸とは、誤った認知に基づく思考や想像の物語」である。

という発想が生まれてきた。

私たちは、物事の真理を正確に認知できているわけではない。

正しく認知できているという錯覚から心配や不安が生まれてくる。

実際には、私たちの外界の世界の認知ほどデタラメなものはない。

五感を使い限られた中で、物事を脳で処理しているにすぎない。

人間には、もともと限界があるのだ。

ラジオやテレビの電波も目には決して見えないが、確実にさまざまな情報を伝えている。

機械を通じて、初めて、それが何であるかを認知している。

神から視点と人間の視点においては、大いなる誤差があるのである。

つまり、この世の中、宇宙も含めて、隅々まで正確に把握しているのは、この世の創造者である

神のみである。

この視点に立つならば、人は、人を良いとか悪いとか、評価、批判する権利は有していない。

なぜなら、人は、人を正しく認知することが非常に難しいからだ。目に見えるものでしか

判断できないからである。

人を裁くことができる権利を有しているものがあるとすれば、それは神のみだ。

あー、神様、今日も、素敵な気づきをありがとうございます。