姦淫するなかれ

・この教えこそ

本当に難しい教えだ。

他の神を拝んでも姦淫。

自分の婚姻意外の恋愛も姦淫みたいだ。

ほう、なるほど。

まあ、わかる気もする。

あまり多くの恋は、トラブルのもとだ。

だれもが嫉妬する。

神様も嫉妬する。まるで

人間のように

人間が他の神を愛することに

嫉妬するらしい。

不思議だ。

そもそも

他の神って何なんだろう。

悪魔崇拝だろうか?

不思議だ。

なぜ、世の中には

こんなに宗教があるのか?

ユダヤ教には、聖書の神はささやくが、

同じ時代を生きた他の人は、

他の神を信じており、ユダヤの神はささやかない。

なぜ、神様は、世界中の他の人種を同じように

姿や言葉を表さなかったのか?

考えてみれば、言葉が違えば

思考や感情すら違ってくる。

聖書の初めのことばは「光あれ」だ。

言葉の違いが神の違いを生んでいる部分もあるような

気がする。

そもそも、なぜ、人間は神を拝みたがるのか?

ユダヤの神以外が悪魔だと仮定すると

この世が平和であるわけがないし、

平和は、ほぼ困難な状況と言える。

神とは、人類共通の真理ではないのか?

しかも、なぜ、律法をつくったのか?

不思議だ。 律法を守る、守らないで

救われるか、救われないが審判されるとするなら、

人間は最初から自由などないことになる。

人類の普遍の共通の真理こそ、

本当の真理であり、救いであるはずなのだ。

あー、神様 感謝。