弱者、敗者への恵み

・神の真理、英知で

スピリチュアルとの違いがあるとしたら、

世間的な価値観では

成功者や強い存在が望まれるし

神に愛され恵にあふれていると思うかもしれない。

しかし

聖書的には、

社会的に弱い存在、貧しき存在に

神の英知がもたらされる。

障害や病にある苦しい運命を背負っている人こそ

神の御業が現れるのである。

キリストの誕生を最初に知らされたのは、名もなき羊飼い。

キリストが生まれたのは貧しき マリアとヨゼフ

生まれた場所は、貧しき 馬小屋だ。

神そのものが、貧しさの中を選ばれた。

お金持ちの余った寄付より貧しき人の生活、精一杯の寄付を喜ぶ

金持ちが天の国に入るのは、ラクダが針の穴を入るより難しい。

神の声を聴くユダヤ人は頭脳は優秀な民族であるが、

いつも逆境にさらされ、奴隷や苦しい立場に置かれることが多かった。

マリア様を見たというベルナデッタやファティマの予言も

貧しき少女である。

金持ちで、成功者で権力のある人が

神の言葉を語るのは、実は難しいのかもしれない。

実際、独裁者の行動や思考は、謙虚さはなく傲慢であることが多い。

人間的価値観による↕関係は、この世の価値観であり、

罠のようなものだ。

実際は、神の英知に触れることができる人は、

人を支配する成功者というより、人に使える奉仕するものだ。

キリストも、人に使えるものになりなさい。と人間が

考える価値観と相対する価値を示してくれた。

何より、キリスト自身が、この世で

もっとも、みじめな死に方を選ばれたのである。

そのことが、大きな救いとなり

神の御心であり、神に愛され、認められたことなのである。