神の国の真理の探究

神の国の真理と英知をおしえてください。

神の国が、自分のもとにきますように。

神の国が自分のもとに現れますように。

これが、自分のテーマになりそうだ。

キリストは

神の国と義を求めなさい。

そうすれば、必要なものは

すべて与えられると述べている。

それほど、神の国を求めることは

大切なことだし、

キリストも推奨していることだといえる。

神の国の真理をわからずして

神の御心や行動に一貫性を持たせるのは難しいのではないか?

今日は、聖書を読んでいると

パウロが伝道している時代から

すでに、律法をまもるべきか?

ユダヤ人が行っていた割礼を進めるべきだ

と言っていた人がいたことを知った。

そこで、会議を開いて話し合ったとある。

やはり 人間である以上

不完全な部分は完全には解消されない状態で

私たちは、信仰を続けていくしかないのではと

考えさせられた。

ヤコブも行いのない信仰は意味がないと言っている。

しかし、パウロは、人は 行いによって義とされるのではなく

キリストの許しとキリストへの信仰をもって

義とされると、反対のことを述べているのだ。

これは、現代にまで、つづくキリスト教解釈の仕方の

問題が、この時代からあったということだ。

いろんな聖書解釈の宗派が生まれるのは、仕方がないような気がする。

真理はどこにあるのか?

神のみが、ご存じなのだ。

聖書も細かいところでわからない部分も多々あるのだ。

結局、人は、自分の信じる道を進むしかない。

結局、それが正しいかどうかは、神のみぞ知るのである。

最終的には、そこが人間の不完全性であり

パウロのいう、キリストの信仰による義を求めるしか

ないような気がするのだ。

なぜなら、行いをよくしようと思っても、人間の善には

限界があるからだ。

このテーマは、今後も、自分の課題となると思う。

あー神様 

感謝します。