聖書とスピリチュアルの比較

今日は、聖書とスピリチュアルを対比してみた。

聖書は、人間には罪がある。

その罪から救うためにキリストが現れた

十字架にかかり死に、復活された。

スピリチュアルには、善悪はないと教える。

極端な話、人を殺しても、そこに善悪はないといえる。

宇宙からみると、ただ、人が死んでいるだけ。

ライオンにシマウマが食べられるのと同じように。

しかし、聖書には、人間は、神の似姿として

作られ、特別に愛されている、動物とは

別格の存在として書かれてあるのだ。

しかも、もし、人に罪がないのだとしたら、

キリストの死と復活は、完全に無意味であり

キリストの自己満足であり、

キリストが、自分で、人類の罪を背負ったつもり

で行ったことになる。

また、斎藤一人さんも、人の罪は、他の人が背負うことは

できないと述べている。

つまり、キリストは、普通の人間だと仮定すれば、

それは、無理な話なのであり、

神がキリストの姿で現れたと信じることがなければ、

キリストの自己満足か、後の人が無理にキリストを神格化したことになる。

しかし、キリストの死、しかも予定され、逃げることもできた死

これを自ら引き受け、死に、三日後に復活し、それを目撃したことを

人々に、命がけで伝えるということは、

まことに、まことに、嘘では、到底、説明がつかないのである。

あー、神さま 感謝します。