キリストは
この世的には敗者としての人生だった。
決してこの世の価値観の成功者ではない。
そのみじめな死は
放蕩息子の話にも通じるものがある。
結局、
神の目に尊いものは、
愛を前提として謙虚さや
人間の本能を超えた愛の行動を突き通すことなのかも
しれない。
キリストは、その後、復活した。
つまり
神様は、キリストの味方だった。
その死に対する大いなる報いを受けた。
この世的には大損した人生のようだったが、
神的、霊的には
おおいなる価値ある人生であったのだ。
だから、私たちも、
現状が悲しければ、悲しいほど
それは、神的には大いなる幸いなのかも
しれない。
あー、神さま 感謝します。