最近、聖書を読んでいる。

聖書を読んでいると、

運命というのは、

ある程度、きまっているのではないか?と

思う。

キリストの生誕から十字架にかかるまで、

出合う弟子たちや裏切る人

十字架につけよと叫ぶ民衆。

すべて神の計画通りのように思えてしまう。

すべての役割に人がいなければ成立しない十字架。

この物語は、最初からおおむね、決まっていたのではなかろうか?

とういより神様であれば、どのような結果が出るのかすでに

お見通しなのではないか?という疑問がある。

それから、全人類の罪を許すのに十字架にかかるしか

本当に方法がないのか?という疑問が沸き起こってきた。

神様が、人間の罪の為に死ぬ。

しかし、罪があることを許されているのは神様なのだ。

悪魔が存在しているのも、じつは神様が容認してくれているからなのだ。

神様が、その存在、そのものを許さないならば、悪自体が

存在できないはずなのだ。

では、神様は何がしたいのか?ということになるのである。

今の、戦争やら犯罪やら、人間は同じようなことばかり

繰り返している。

そんな地球の人間物語のような気がしかたないのだ。

しかし、これも お見通しのはずなのだ。

聖書的には世の終わりも来るようになっている。

キリストが再臨するらしいのだ。なんのための

物語なのか? 

この矛盾が、最初から容認されているのが、

この私たちの住む地球なのだということになる。

あー、この世は不思議だ。

あー、神様 感謝します。