先のものが後になり後のものがさきなる。

賢さのおろかさ

おろかものの賢さ

これが最近、思いついた言葉である。

その話にも通じることだが、

自分の方がすぐれているとおもっているが

劣っていると思っている人の方が

最終的に優れていることもあるのだ。

所詮、自分の主観的評価でしかないのだから。

放蕩息子の話でも

世間で、やりたい放題の放蕩をして

堕落した弟が、いつも忠実に使えてきた

兄より 盛大な 祝福をされ嫉妬してしまう

場面がある。

あれなど、まさにそうだろう。

犯罪を犯して罪のないキリストの横で、

自分のおろかさをキリストに許しを求める

場面も、まさにそうだ。

犯罪者で十字架にかかっている人が、

キリストに「あなたは、今日、私と一緒に楽園にいる」

と天国を保証されたのだ。

キリストが生きて教えを説いていた中で、

これほどまでに明確に天国を保証された人は

彼以外にはいないのではないか?

むしろ、偉そうにしている律法学者や

金持ちには、あの世で厳しいさばきがあることを

伝えている。

キリストは、こんなことも述べた。

教会で、あの人のような悪い人間でないことを

感謝します。と祈った人

教会の片隅で、打ち砕かれたように、

神よ、私は、多くの罪を犯しました。

ゆるしてください。と心から許しを求めた人。

神様から、認められたのは、後者の方なのだ。

わたしたちは、自分の知恵を誇っては、いけないのだ。

許しを求める謙遜こそ、天国への切符なのだ。

あー、神様 感謝します。