介護されること

・自分で自分のことができなくなると

介護される状態になる。

しかし、自分の排泄を含めてすべてを人に任せるということは、

大変、恐ろしいことだ。

人は、所詮、他人である。

その人のことを本当に理解できることはない。

結果、その人が望むこととは、違うことをされることになる。

人は、一人、一人、個性的だ。

つまり、その個性に合わせることは、難しい。

今の介護現場では、できないことが多い。

トイレに行きたいのに待たされてしまう現実。

何分も待たされる。そして訴えると怒られる。

トイレさえ、行きたいときに行けない。これが介護現場の現実だ。

つまり、何かを我慢しなければいけない。

しかも、介護する人は、若い世代の人間的に未熟な人達である。

このことが、資格はあっても現在の介護問題の大きな闇となっている。

わかっていても、子供扱いしてしまう。

わかっていても怒ってしまう。

わかっていても意地悪なことを言ってしまう。

そして認知症の人は、忘れてしまうので、その弱点を

うまく利用されてしまう。

家族も親を預ける以上は、施設やスタッフを信用するしかない。

しかし、介護をする人は心優しい人に違いないという

性善説で考えることは無理がきていると感じている。

お店などにも、カメラや商品持ち出しができない機械の設置

が増えている。

つまり、ある一定数の、罪を犯してしまう人が存在することを

現わしている。

10人いて、9人が良い人でも1でも悪い人がいれば、

それだけで、それに対する対策を立てざるえないのが現実だ。

あー、神様さま、この現実の感謝します。賛美します。